神奈川県相模原市緑区中野のメディカルセンターに隣接している
郷土資料館。小さいころ、私は資料館裏の畑で土器を発掘した。当時は大発見だと思っていたが、どうやら郷土資料館で作った土器のレプリカの残骸だったようだ。そんな郷土資料館には小学校の社会見学と選挙の時にしか訪れたことがなかった。久しぶりに来て驚いた。私は郷土史が好きで、地方の郷土資料館などによく足を運ぶのだが、その辺の資料館とは違っていた。蔵書している本のレベルが高かった。例えば、少年倶楽部、婦人倶楽部、明治時代に発行された雑誌、明治、大正、昭和の教科書などがあり、手に取ることもできる。また、相模原市をはじめとする近隣市町村の郷土資料もある。本の多くは鈴木氏が寄贈されたもので、この方なしでは豊富な蔵書はなかっただろう。
しかし、残念なことに、本の管理がよいと言えない状態にある。管理人さんが一人しかおらず、市の貴重な財産である本が盗まれたケースもあるようだ。普通の本屋でもICタグをつけ、万引きを防止しているのに、市の予算が下りないため、このような状態になっている。また、空調も予算がないため、本がある部屋にはクーラーがなく、今の時期は寒さを感じる。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ここで言う経験は自分の経験つまり体験を指す。歴史ほど他人の経験が記されたものはない。歴史を学ぶことで、様々な人と対話することが出来、自分のことや自分の住んでいる地域を理解することも出来る。そして、自分はこうであるというアイデンティティーの根源にもなりえる。昔の人がやったことだから、今の我々にもできると励まされることもある。
この郷土資料館の中には、多くの人と対話できる場所、自分のアイデンティティーになるもの、自分を励ましてくれるもの、つまり歴史が存在している。今、この歴史は市の予算がないために危機に瀕している。だが、郷土資料館に投じる予算はないというが疑問である。相模原市内では
旧石器はてな館などを建てる予算はあるのに、保存する予算がないというのは本末転倒である。法隆寺や白川郷が世界文化遺産に認定された理由は作ったことではなく、保存されていたからだ。歴史は保存されなければ、後世に伝わらず、もはや歴史ではなくなってしまう。
そんなことを思いながら、貴重な資料を拝見させていただいた。馬鹿な私だが、少なくとも歴史は守っていきたいと思う。そのために、たびたびお邪魔させていただく。ちなみに、馬鹿にも歴史がある、秦の末期宦官の趙高が鹿を皇帝の前に差出し、「これは馬でございます。」といった。当然、皇帝はこれは鹿ではないかと言った。一部の臣下も鹿だといった。しかし、鹿と言った臣下は後に趙高によって処刑されてしまった。今の政治はこれほどひどくはないが、共通している部分がある。